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2回目はたてもののたんけんからです。
琴平町にはれきしてきなたてものがたくさんあります。
ふだん見慣れているたてものでもよく知らなかったりするものもあるかもしれません。
琴平町史(琴平町のれきしが書かれている本)にある資料(しりょう)をもとにしらべてみました。
説明が長いのでお家の人と一緒にみてください。(資料 「町史ことひら」)

建物(たてもの)の名前
 JR琴平駅 
       (ことひらえき)



明治大正時代の琴平駅










1889年(明治22年)讃岐鉄道株式会社(さぬきてつどうかぶしきがいしゃ)ができて、
琴平−丸亀間に香川県ではじめて汽車が走った。(いまから120ねんぐらいまえ)

左は神明町にあった最初の駅(正面のたてもの)。
右は線路側からうつしたもの。かすかに蒸気をはいている7両編成の機関車(きかんしゃ)が写っている。
この頃は陸蒸気(おかじょうき)とよばれてたくさんの人々が見物に来たという。
左の絵図は1890年(明治23年)に書かれた「こんぴら絵図」の一部です。

真中より少し上にけむりをはいて走っている汽車と駅が描かれています。

真中は多度津街道、コウヤフ町(高薮)のにぎわいと金倉川。

右端には高灯籠。

下の方には丸亀街道。
黒い大きな鳥居、その右には狛犬、灯籠(今は交番の前に二つならんでいるもの)
鳥居の左には一里塚の大きな二本の木(松と榎)、その左には霊験記(れいげんき)の碑、富士見町の並び灯籠も見えます。(高灯籠のページとあわせてみてくださいね。)

最初の駅舎(えきしゃ)は火事で焼けてしまったので建て直した。
この駅は二代目で写真は1906年(明治39年)のもの。(神明町)

この年、国鉄琴平駅となる。
大正の琴平駅
 1923年(大正12年)に琴平−財田間開通にともなって神明町から榎井(現在の場所)に新築移転した。
 四国の駅には珍しく洋風木造建築で現在まで残っている貴重なたてものです。
 入口と出口がわかれていた。入口は今と同じで三角屋根のしたから入って切符を買って改札を通る。 出口は写真右のほうの低い屋根のほうにあり、この写真でもここから沢山の人が出てくるのが見える。

 駅前は何もない広場だった。
琴平駅給水塔左の写真
駅の東にあって、蒸気機関車に給水していた「給水塔」
蒸気機関車は昭和45年に姿をけしたのでその役目がおわりました。
今はありません。

右の写真
1965年(昭和40年)
金毘羅宮宝物館前にあったものを移転した噴水。今は石の棒が帆掛け舟の形になっています。噴水の回りの石も変化のない丸いものになっている。下の写真参照。

1971年(昭和46年)、1976年(昭和51年)、1991年(平成4年)の駅前広場整備が完了して現在の姿になりました。回りの様子がどんなに変わっても正面の象頭山は変わらず、琴平を訪れた人をやさしく迎えてくれるようです。
駅前にもいろいろなものがあります。「あっ!知っとる」というものから「知らんかった」というものまで楽しんでくださいね。
駅を出るとまず目に入る一対の唐獅子(からじし)。
以前は多度津街道町口の高薮橋のたもとにあった。
唐獅子に続いて歩行者通りに並んでいる灯籠。
左右に5基づつ10基ある。
そのうち8基は丸亀街道の富士見町にあった江戸火消四十八組の灯籠です。
一番前(西のはし)にある三角屋根の灯籠は多度津街道の高薮から移されました。今は夕方から電気が灯ってとてもきれいです。 
琴平町の木
「おがたまの木」

昭和63年1月8日制定。
「...琴平町では金毘羅宮境内において古代より植栽されサカキと共に神事に用いられてきた。」
 「新歌舞伎十八番 鏡獅子像
地域の発展と金毘羅大芝居の隆盛を祈って建立
    平成四年二月
       琴平ロータリークラブ
        創立三十周年記念事業」
と書かれています。
順風のオブジェ シゴハチの動輪(C58)
明治22年讃岐鉄道会社が琴平〜丸亀の間営業をはじめたのが四国鉄道のはじまりです。それから80余年蒸気機関車は四国の山野をめぐりましたが、去る昭和年45年懐かしい汽笛を残しながら四国から姿を消しました。ここに展示してある動輪はシゴハチという愛称で親しまれたC58蒸気機関車の動輪です。
    昭和47年11月 
       琴平町長 琴平駅長 
       と書かれています。
琴平町民憲章の碑 元鉄道展示館、今は鳩の休憩所
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