|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
地域団体の方々の声 |
|
■地域における 児童、生徒の健全育成のためのネットワーク |
|
|
不況、少子化、核家族化、地域コミュニティーの教育力の低下などによる社会環境の急変の中、新しい取り組みや変化が必要。
いじめや不登校、教室の崩壊など、学校み求められる役割の多様化と、地域行事の減少などによる、人間関係や行動の規範を学ぶ機会の減少により、地域コミュニティーの弱体化が進んでいるのではないかと危惧されている。
「青少年は地域社会から育む」という考えにあたって、家庭・学校・地域が互いに開かれた関係を推進し、地域で一体感のある取り組みを行い、地域全体で子供たちを見守り、育てる意識を高めてゆかねばまらない。
子供たちが自主的・主体的に活動や議論できる場の提供や、ボランティアに参加しやすい仕組みづくりをすすめるための、各種団体の連携の強化や協同で、地域の活動を進めることが必要。 |
|
平成15年から、蓮池小学校の校庭で、子供から高齢者まで幅広い年齢層の地域住民が参加する盆踊りを開催。沢山の親子が参加してくれるようになり、子供たちに声を掛けると元気な返事が返ってくるようになった。
|
|
震災で失なったものは確かに大きかったが、それ以上に「支えあう心、助け合う仲間意識」を復興の体験の中で得ることができた。 |
|
『ながたっ子祭』の開催を通じて、子供の健やかな成長を願う同じ価値観を持つ各団体との協力を促進し、子供たちが心身ともに健やかに育んでいくための取り組みを築いている。 |
|
「ふれあい喫茶」「子供の見守り活動」のためのステッカーづくりなどを通じて、地域の子供の安全を見守っていこうとの活動。 |
|
学校と地域のかかわりを生涯学習にし、震災で学び体験した人と人のつながりの大切さを伝える。
「笑顔でお返しプロジェクト」
神戸と同じ被災者である有珠、三宅島の子供たちを神戸に招き、神戸の子供たちとの交流を行う。
この10年に経験し学んだ事をもっと伝え広げていく事が必要。 |
|
新長田北安心安全コミュニティー推進協議会の活動 |
|
平成16年5月設立
震災復興市街地整備事業により、大きく変動する新長田駅北側地域において、地域の関係諸団体との連携と情報の交換を行いながら、子供からお年寄りまで、安心で安全な暮らしのできるコミュニティづくりを推進するために、地域の防犯、防災、福祉などの活動に取り組むとともに、安心で安全なコミュニティづくりについて、まちづくりの提案を行う機関として活動を行うことを目的とする。 |
■主な活動内容 |
|
|
●交番適正配置と水笠通公園における拠点交番配置についての提案と要望(16年9月) |
兵庫県警察本部長、長田警察署長に要望書を提出
署名活動を行い、10008人の署名を集める。 |
●防犯セミナーの開催 |
●児童自転車運転免許証の交付 |
●小学生の登下校時の見守り体制づくり |
|
|
まちづくりの「これまで」と「これから」 |
|
■震災の教訓 |
|
|
長田で火災が多かった理由として、戦前からの老朽建物が多く、防火機能が失ってしまったところに、火気使用による火災が、同時に13ヶ所発生し、道路が倒壊家屋で塞がれ、消防車が通れず、消火栓も使えず、また、長田というゴム産業地という地域性も相まって可燃物が多く、火災による被害が多かった。
助けられた95%の人が地域住民の手によるもの。消防や警察、自衛隊といったものはたったの5%。
●災害の教訓として
家屋が潰れないように耐震構造にする。
地域防災福祉コミュニティなど、地域組織の充実が必要。 |
|
神戸は花崗岩の地質であるということで、地震はないと思い込んでおり、地震に対する心構えが全然無かった。
自分の住んでいる町でどうやって逃げるかを、普段から考えておく必要がある。 |
|
通電火災など、知識や認識不足が問題。 |
|
戦後の復興区画整理が行われなかった地区であり、被害の増大を招いた。
1階より2階で寝ていた人のほうが助かった人が多い。 |
|
■町として失われたもの |
|
|
当地区は借家の方が多く、とりわけ高齢者が多かった。そういう人たちがこの町に残れなかったといことが一番気の毒に思う。 |
|
復興計画で、水笠通2丁目全体が防災公園となり、皆さんがバラバラになって関係も少なくなった。 |
|
100坪や200坪といった大型店を、再開発により立てた箱物にどんどん入れて行き、サービス面での低下が懸念される。 |
|
区画整理により、離散した住民が戻って来れない。 |
|
ケミカルの小さなメーカーが少なくなり、高齢者の雇用の場が減少した。 |
|
シューズ産業の衰退に伴い、それに付随した散髪店や喫茶、ブティックなどの売り上げも下がった。 |
|
■震災復興で何が生まれたか |
|
|
復興を一緒にやらなあかんといった共通の目的が生まれた。 |
|
自分たちの町を作っていくんだという意識が、協議会を中心にでき、行政とも活発な意見交換ができた。 |
|
なんでもかんでも行政に任してはいけない。住民がリードしていかなくてはいけないという意識。 |
|
いろんな地域団体が協力して動けるようになった。 |
|
■地域の活性化について |
|
|
これまでのお店に元気が無い。今あるお店でがんばろうというところを応援することが大事。
地域共通割引券『ハーバー』をはじめ、お店の紹介氏の発行を定期的に行い、長田の活性化を行っている。 |
|
少しの会費で地域のお年寄りに向けたパソコン教室を開催し、地域のコミュニティや地域活性化につなげたい。 |
|
パートでもいいから1日の1、2時間でも働いて使えるお金ができるような、新しい形でのお金の動かし方を考える必要がある。 |
|
■まちづくり協議会のこれから |
|
|
何らかの形で、震災の恐ろしさや教訓というものを伝えてゆく。協議会が中心となって伝えてゆかねばならない。 |
災害弱者といわれるような人が住みやすい町というのは、健康人にとっても住みやすい町。地域全体で取り組んで行く姿が、住みよい町になる。 |
|
これからのソフトの問題、人情とか隣同士とのつきあいとかについて、住民の皆さんで考えて行く。 |
|
長田の人が働けるような、経済を活性化する具体的な方策を、まちづくり協議会を行政とで一緒に考えて行かなければならない。 |
|
|
|
|
|
|